1 仙台東照宮は仙台を見守る神だった?
【答えの要約】
伊達政宗公御普請の仙台。この地、玉手崎は、仙台の中心地・芭蕉の辻の鬼門・定禅寺の延長上にあり、手厚く仙台を守る鬼門封じとして、仙台領二代当主伊達忠宗公は東照大権現が勧請、承応3年(1654)完成、御祭神を徳川家康公と定め今も仙台の街を見守り続けています。
この地は源頼朝の奥州征伐に従った千葉胤通が下総国葛飾郡国分寺領を拝し「国分」を称したことに始まり、国分氏の荘園・小俵邑は玉手崎と呼ばれ、古来より小俵天神社があり、現在の東六小には覚性院と春日神社が置かれ、国分氏の城下町・国分日町の北端の守本尊と商人街を形成していました。徳川家康公が葛西大崎一揆を平定後、伊達政宗公と宿陣された地、玉手崎は、仙台普請の際の中心地・芭蕉の辻の鬼門・定禅寺の延長上にあり、手厚く仙台を守る鬼門封じとして、仙台領二代当主伊達忠宗公は東照大権現をこの地に勧請、慶安2年(1649)8月17日普請を始め、社殿が完成したのは着工以来5年後の承応3年(1654)で、御祭神を徳川家康公と定め御遷座、現在に至ります。